身近な症状でありながら、日常生活への制限が大きい腰痛。日本には、腰痛患者が3000万人いるといわれています。
今回は、福島県立医科大学医学部疼痛医学講座特任教授、および順天堂大学医学部麻酔科学・ペインクリニック講座非常勤講師を務める松平浩先生に、腰痛に関するお話をお聞きしました。松平先生は、2022年に保健文化賞を受賞されている他、Best Doctors認定を2018年より受け続けている、腰痛治療の名医です。
お話を聞いたのは
松平浩先生 プロフィール |
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1992年順天堂大学医学部医学科卒業。2006年 東京大学医学系研究科論文博士取得。関東労災病院勤労者筋・骨格系疾患研究センターセンター長、東京大学医学部附属病院22世紀医療センター特任教授などを経て現在は、福島県立医科大学医学部疼痛医学講座特任教授、順天堂大学医学部麻酔科学・ペインクリニック講座非常勤講師などをの傍ら、Tailor Made Back pain Clinic(テーラーメードバックペインクリニック)院長を務めている。 |
■医師を志した理由は何でしょうか?
私の父も整形外科医で、埼玉県でクリニックを開業していました。子どもながらに父の跡を継ぐかもしれないと考えており、医学部に入学しました。
正直に申し上げると、私自身は医師という職業に強い興味があったわけではありません。また、整形外科よりも血液内科や精神科に興味がありました。
■整形外科を専攻されたのはお父様の影響もあったのでしょうか?
父からは整形外科のクリニックを継ぐように勧められましたが、私自身は手術や運動療法よりも精神科領域に興味がありました。最終的に整形外科を選んだのですが、整形外科医になった後も、認知行動療法など心理社会的な要素を含んだ治療を積極的に提供しているのはそういった経緯も関係していると思います。
■大学卒業後はどのようなご経験を積まれたのでしょうか?
武蔵野赤十字病院にいるときに、腰痛の研究をしている医局の先輩に出会いました。当時は東大の整形外科のエリートは脊椎疾患を研究しており、腰痛を研究するのは少数派でした。私は東大の中ではエリートではないと自覚していたのと、慕っていた同先輩のお手伝いをするために、腰痛の研究チームに参加しました。
腰痛のチームではグループチーフの立場になりましたが、花形ジャンルじゃないからこそ、のびのび研究できたと思います。また他大学から専門家として扱われる機会が多かったので、自分を追い込みつつ研究や論文発表を重ねてきました。
■先生の研究テーマについて教えてください
研究テーマは、従来の運動療法に認知行動療法による心理社会的介入を加えた腰痛の治療です。腰痛があると、マッサージをしたり接骨院に行ったりする人が多いかと思います。他の病気にもいえることですが、体の持ち主は患者さん本人であり、セルフマネジメントすることが重要です。そのセルフマネジメントに有効なのが認知行動療法(認知に働きかけて気持ちを楽にする精神療法の一種)です。
研究テーマでもある腰痛治療では、体の声に耳を傾け、一人ひとりの患者さんの弱点や不足している部分を補っていくことを重視しています。
従来の腰痛のセルフマネジメント支援はプログラム時間が長いため、簡易版となるブリーフセルフエクササイズ(brief-see)作りました。また、「関節の位置関係および可動性の確保(Alignmentの適正化)」「深部筋の強化(Core muscles)」「有酸素運動による内因性物質の活性化(Endogenous activation)」のそれぞれの頭文字を取って、「ACE」としました。
Aについては、腰痛教室で、最初に私が患者さん一人ひとりの関節(アライメント)の弱点を見極めて、個別でストレッチのメニューを作ります。Cについては、深部筋(コアマッスル)を強化することが、腰痛による障害の予防につながります。Eについては、エクササイズなど有酸素運動による脳内の神経伝達物質を分泌させることで腰の痛みを取っていきます。
近年、病気になる背景には体の慢性的な炎症が関わっていることが分かっています。例えば、運動不足や不適切な食生活によって肥満の人の内臓脂肪には「アディポサイトカイン」という善玉のものも悪玉のものもある物質が分泌されています。悪玉アディポサイトカインは血管や臓器の炎症を引き起こし、さまざまな病気の要因となります。
一方、運動すると筋肉から「マイオカイン」という神経伝達物質が分泌されます。マイオカインは血管で全身に運ばれ、さまざまな臓器に対して良い影響を与えます。糖尿病の予防などにも役立つ物質です。運動で筋肉を動かすことは、“炎症負債”を減らすことにつながるのです。
ただ、私1人で診療できる患者さんの数は限られているので、上記の手法をより多くの人に届けるにはビジネスの視点も必要だと考えています。
■腰痛治療を受ける際に患者が知っておいた方が良いことを教えてください
腰痛の中には、背中の痛みを含めて、100人に一人か二人ぐらいの割合でがんが転移しているとか、あと糖尿病の合併症から引き起こされている場合があります。
楽な姿勢があまりない腰痛だとか、あと夜寝ていても痛みを感じるたびに目を覚ましてしまうというような場合、特にがんの既往歴がある方という方は、早目に受診して、悪い病気ではないか医師に診てもらう必要があります。
また、骨粗しょう症による腰痛も考えられます。骨粗しょう症の検査を意外とみなさんされていないので、ぜひやっていただきたいですね。今はエビデンスのある骨粗しょう症に有効な薬がたくさんあり、それにより骨密度が上がったり、骨折予防ができるということがわかっています。
骨粗しょう症の検査は腰痛があるないに関わらず、女性なら55歳以上におすすめします。男性でしたら65歳以上の方はやっていなかったら必ずやってほしいです。
■腰痛と診断された場合、どのような治療が行われるのでしょうか?
一般的な腰痛治療というのが確立・標準化されていないのです。ですから腰痛治療の大半は現状の保険診療の対象にはなっていません。
診療ガイドラインという医学的根拠のレベルなどから治療の推奨の有無を判断するものがあります。しかし、腰痛の治療でエビデンスがあり診療ガイドラインとして推奨されているのが、いわゆるギックリ腰という急性の腰痛が起こったときに、消炎鎮痛薬を短期間服用すると早く良くなるということだけです。
今は腰痛になっても絶対安静というよりも、痛みの範囲内に通常通り休まず動いた方がいいというのがスタンダードになっています。
一方、慢性の腰痛に関しては、診療ガイドラインはありません。そのような中、一番推奨されている治療法は何だと思いますか? それは運動療法なんですよ。いわゆるエクササイズです。
これに加えて、集学的治療ということも勧められます。集学的とは、医療の世界で使われている用語で、専門分野が異なる複数の医師や専門スタッフがチームとなって行う治療に対して使われます。
長引く腰痛には、前述のとおりエクササイズが有効なのですが、ただそれを推奨するだけでは改善しなかったりします。その原因としては、患者さん本人が運動すると腰痛がひどくなると思い込んでいて満足にエクササイズができないといった心理的要因や、家族が過保護で本人が動くことを阻害するといった社会的要因などが挙げられます。そういった場合には、各専門家がチームとなって治療にあたる集学的治療による認知行動療法というのがグローバルにも推奨されています。
■先生が診療の際に心がけているポイントはなんでしょうか?
腰痛が起こりやすいような体の問題点や、腰痛にについて抱えているストレスの大きさ、または体力についてはしっかりと患者さんに聞くようにしています。補った方がいい問題点や課題を短時間で洗い出して、全部整理して客観的に分析します。その中から、その人にとって一番最適な腰痛を取り除くレシピを構築し、提供させていただくということを今心掛けています
患者1人1人のことを、ちゃんと把握して、その人に合ったテーラーメイドのものをするのが本当は理想的なんです。ただ、手間暇がかかったり、そもそもテーラーメイドの医療教育をされていないので、そういったことができる医師のリソースもありません。この大きな社会課題を、何とか自由診療の枠を使って今後展開できないかなと考えています。
■腰痛で悩んでいる人にアドバイスをお願いします
腰痛持ちの方やセラピストの方の中には、自分なりの腰痛対策がある人もいるでしょう。セルフマネジメントの観点からも、個々の腰痛対策に対して否定するつもりはありません。
私の腰痛治療の手法が万能だとは考えていないので、皆で一緒により良い手法を考えて行ければ良いと考えています。腰痛に関するプラットフォームを作って、一緒に解決法を見出せるような場所づくりにも力を入れていきたいですね。
(執筆:株式会社メディコレ編集部)